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2011年3月

2011年3月27日 (日)

いっしょうけんめいのプレゼント

次男の小学校の同級生の男の子(A君とします)が、転校することになりました。

そこで、クラスで一人一つずつ、プレゼントをすることになったそうです。

ここ2~3週間、次男は

「何にしようかな~。A君、何がうれしいかな~。」とあれこれ悩んでいました。

最初、次男は買った物をプレゼントにしようと思っていたようでした。

先週末、買物で100円ショップに行ったのですが

「これはプレゼントになるかね~。」

と、折り紙セットやおもちゃを僕や嫁さんに持って来ました。

「いや、プレゼントは手作りの物がいいと思うよ。その方がA君、よろこぶんじゃないかな~。」

と、僕と嫁さんは長男に言ったのでした。

そして、いよいよお別れ会の日が来ました。

「結局、プレゼントは何にしたんかの?」

と、僕が尋ねたところ、長男が見せてくれたのがこれでした。

Dsc01386

この紙袋の上の鳥の絵は次男が描き、下のたんぽぽは娘が「お手伝い」したという、いわゆる「合作」。

そして(画像にはありませんが)、この紙袋の中には次男がいっしょうけんめい折って作った動物の折り紙が満載なのです。

「おおっ、この手作りのプレゼント、いいじゃん!!お父さんにも欲しいぐらいだ。いっしょうけんめいに作ってプレゼントした物は、気持ちがいっぱいだからな。気持ちが大事なんだよ。」

本当に、そう思って言いました。

A君、よろこんでくれたらいいな…と思いながら…。

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2011年3月19日 (土)

うれしい「おさがり不可」帽子

昨日、長男の小学校の卒業式がありました。

ビデオカメラを撮りながら、卒業証書授与の様子を見たり「呼びかけ」や子どもたちの歌声を聞きながら

時おり涙があふれて止まらないオヤジでした。

(以前もつぶやいたと思いますが、若いころはどんなに悲しいことや感動することがあっても涙を流すことは決してなかったのに、子どもができてから、すっかり涙腺がゆるくなってしまいました)。

さて、卒業式のあと、クラスでの記念撮影や親子、友達同志でので記念撮影がグランドのあちこちでありました。

もう一つ、今どきの子どもたちの友達同志での「記念」といえば…ランドセルの寄せ書き。

友達同志で(あるいは先生が生徒に)、いわゆるペイントマーカー(商品名)等で、ランドセルに寄せ書きをしあうのです。

どの子のランドセルも、友達のメッセージがびっしり。

わが長男のランドセルもそうでした。

担任の先生にも書いて欲しい、と言う長男の姿が見えました。

にこにこしながら先生は長男や他の子どもたちのランドセルにもメッセージを書いておられました。

どちらかというと、自分から積極的に声をかけて行動を起こすタイプではない長男。

友達も自分から声をかけてつくるタイプではなく、声をかけられて何となくうまがあう中でできる、といった感じでした。

それでも、保育園時代は仲良しの友達ができて楽しく通っただけに

小学校に入学した時は

「小学校でも友達ができるだろうか。無事6年間通い続けることができるだろうか。」

ものすごく深刻にそう思ったわけではないのですが、それでも何となく、そんな不安があったものです。

結果、そんな親の不安はとりこし苦労に終わりました。

そんなキャラの長男にも、保育園時代と同様にうまがあう友達がそれなりにできましたし、

担任の先生やクラスにも恵まれたようで楽しい小学校生活だったようです。

そんな雰囲気が、卒業式後のクラスメートや先生と長男とのやりとりを見て伝わってきましたし

何より長男のランドセルのたくさんの寄せ書きが、それを物語っていました。

ところで、もう一つ、寄せ書きが別のところにもありました。

それは、帽子。

長男や他の子どもたちの帽子にも、メッセージがびっしり。

ランドセルの寄せ書きは、事前に長男から聞いていたのですが、まさか帽子までも…。

「おさがりができなくなっちゃったね…。」

長男の帽子を娘へのおさがりにしよう、と思っていた嫁さんが、ニコニコしながら言いました。

おさがり計画(?)は断念せざるを得なくなりましたが

うれしい思い出がもう一つできました。

息子よ、卒業おめでとう!!

6年間、楽しく学校に行ってくれてありがとう!!

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2011年3月12日 (土)

東京に行きましたが…

出張のため、昨日東京に向けて出発して、本来なら明日の夜広島に帰る予定でしたが

地震のため出張先での研修が中止となり、今日広島に帰ってきました。

以下、僕が体験し、目のあたりにした東京の様子です。

最初の揺れがあった時間、僕は丁度ホテルに着き、チェックインを済ませて客室に入り、荷物を整理していました。

いきなりものすごい揺れが…「まあ、すぐおさまるだろう…。」とじっとしていたのですが、揺れはおさまるどころか激しくなっていきました。「これはまずい…机か何かの下に入ろうか…。」と恐怖を感じつつ立ちあがりましたが、立っていられない程の揺れがしばらく続きました。つけていたテレビが報道特番に切り替わり、東北で震度7、東京で震度5の地震だったことがわかりました。

Dsc01325 ←14:55頃。地震第一報?のTV画面。

揺れがおさまったため自転車に乗ってホテルの外に出たところ(この時点では、地震はおさまったと思っていました)、通り沿いは、その辺のオフィスやお店等、建物から「避難」した人たちの群れでごった返していました。途方に暮れていた人が多かったです。

交差点で信号待ちをしていると、再び揺れが…。あんなに激しい地面の揺れを体感したのは人生で初めてでした。

周りを見ると、信号機の電柱や近くの高層ビルも激しく揺れはじめ、歩道では「どうしよう…。」と声をあげる人やその場でうずくまる人など、一時騒然となりました。

ホテルの最寄りの駅である水道橋駅に行くと、JRも地下鉄もストップしていました。

Dsc01327 ←15:45頃、地下鉄神保町駅入口。乗客は立入禁止となりシャッターが閉められました。

神保町の古本屋街は、地震で書棚から本が散乱し、どの店も「今日はもう店じまいです。」と口々に言いながら、本を戻す作業をされていました。

Dsc01330 ←16:15頃、交通機関がストップしたため、タクシー待ちをする人と携帯電話が不通となったため、公衆電話に殺到する人でごった返している、水道橋駅前の歩道。

Dsc01328 ←16時過ぎ。ヘルメットをかぶったサラリーマンの集団が、誘導により集団退社したり、防災ずきんを被り親と下校する小学生を、あちこちで見かけました。

が、この頃から首都圏の鉄道網が完全にストップ。また、余震が断続的に続き、救急車や「落ち着いて行動して下さい。」「無理をせずに今いる場所で待機して下さい。」と呼びかける区役所の宣伝カーが走り始めました。また道路も渋滞が始まりました。

このあたりから、事態が深刻な状況であることにみんな気づきはじめたようでした。僕も状況を知ろうと、ラジオを聴きながら自転車で文京区役所へ。

区役所のある文京シビックセンターも人でごった返していました。さしたる情報を得ることはできず、ホテルに戻りました。

テレビもラジオも以後、どのチャンネルも地震関連の特番。余震で時おり揺れるホテルの客室で、時間の経過とともに被害が拡大していることを知りました。

Dsc01335 ←東京ローカル局「東京MX-TV」の地震特番。鉄道網がストップしたため、都内はいわゆる「帰宅困難者」があふれていることを受け、このTV局では各区の帰宅困難者の受け入れ施設の情報を画用紙にマジックで書き、逐次手で差し替えながら伝えていました。こういう情報は却ってこのようなアナログな情報伝達手段の方が早くて確実だったりするんだ、とあらためて感じました。

夜中~明け方、余震や長野、新潟を震源とする地震の影響による揺れ、そのたびに「緊急地震速報」のチャイムと情報がテレビから流れ、寝ては起き、起きては寝る…といった繰り返しでした。

翌朝、広島に帰るための新幹線の切符を買いに行こうと東京駅に行くため、JR水道橋駅へ。ところが電車の運転は再開していたものの、普段の5~3割の便数で次の電車は30分後とわかり、あきらめて地下鉄(水道橋~大手町)に乗り東京駅へ。地下鉄は復旧が早かったせいか、JRほど間隔は開いていませんでした。

東京駅構内では、帰宅できずおそらくここで夜を明かしたんだろうな、と思われる人たちが疲れた表情で横になっている、といった姿を至る所で見かけました。

みどりの窓口に行くと、長蛇の列。僕の順番が来るまで1時間半位かかりました。

…ざっと、こんな様子でした。

この「つぶやき」と更新している今もラジオからは地震の報道が続いています。関東はもとより、東北はさらに大変な状況です。

早く、被災地にいらっしゃる方々が安心して生活できるように…と

昨日~今日の目にした光景、体験を思い返しながら

願わずにはいられません…。

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